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東京高等裁判所 昭和32年(ラ)701号 決定 1957年12月25日

再抗告人 高橋やゑ

訴訟代理人 須々木平次 外一名

相手方 田村伴次

主文

本件再抗告を棄却する。

再抗告の費用は再抗告人の負担とする。

理由

再抗告代理人は「原決定を取り消す。相手方の即時抗告を却下する。手続費用を全部相手方の負担とする。」との裁判を求め、その理由として、別紙再抗告の理由書記載のとおり主張した。

再抗告の理由一について(その一部については二と共に判断する)

原決定の確定しているところによれば、本件執行文付与の対象となつた債務名義である調停調書の条項第三項には「右賃料、条項第二項の一ケ月金千四百三十五円の賃料-の支払を引続き三ケ月以上遅滞したときは、本件賃貸借契約は何等の催告を要せずして解約せられ、申立人(再抗告人)は該地上の建物を収去して本件土地を明渡す」旨の記載がなされている。右条項はその記載の文言からして、再抗告人において、一ケ月金千四百三十五円の賃料の支払を引続き怠り、その額が三月分以上に達したときは、相手方においてなにも催告をなすことなく、本件賃貸借契約は当然解除となるとの趣旨であることが明かで、再抗告人主張のように、再抗告人において賃料を三月分以上遅滞したときは、相手方は契約解除の意思表示をなす必要があるとは、とうてい解することができない。右のように調停条項の文言が明白であるから、再抗告人主張のように、本件調停の申立をなすに至つた原因と調停の経過を斟酌するまでもなく、上記の判断は相当である。よつて、原決定の認定、解釈には、抗告人主張のように、条理に反し、理由不備及び審理不尽の違法がないから、この点に関する再抗告の理由は理由がない。

再抗告の理由一(上記判断した点を除く)及び二について

民事調停法第一六条、民事訴訟法第五六〇条によつて準用される同法第五一八条第二項、第五二〇条によつて、上記認定の「再抗告人において三ケ月分以上の賃料を延滞して、本件賃貸借契約が解除された」ことが、第五一八条第二項の「他の条件」に該当し、執行文の付与を求める債権者においてこれを証明し、裁判長の命令ある場合に限つて、執行文を付与すべきものなのか、或は、それは右にいう「他の条件」には該当しないで裁判長の命令を俟たないで、裁判所書記官において執行文を付与することができるかについては、説も分れ、実務上の取扱も必ずしも統一されていない。右のような賃貸借契約の賃借人が賃料債務を遅滞なく支払つたかどうかということは、賃借人において立証責任を負うということが、立証責任の分配を定めた衡平の精神に適つた解釈なのであり、第五一八条第二項の場合に限つて、これを別に解して、本来の立証責任を負わない条件についてまで全て立証責任を負わしていると解せなければならないとする合理的な理由は、別段に見出すこともできない。債権者において右のような条件の成就したことを証明することを要するとの実務上の一部の取扱でも、三ケ月分の賃料の支配を受けていないことについてのあらゆる場合についての証明をなさせているのではなく、賃貸人において三ケ月分以上の延滞賃料の催告書(写)程度のものを提出させて、それで証明があつたとしているような形式上の取扱がなされているのである。この場合に、債権者に条件の成就した証明の必要がないとしても、その条件が成就していないなれば、債務者は、本件の場合においても、再抗告人が三月分の賃料を完済したことを理由として、第五二二条の執行文付与に対する異議を申立て、又は第五四六条の執行文付与に対する異議の訴を提起して、これを証明するとすれば、たやすく執行文の付与は取消されるのである-本件については再抗告人は三ケ月分の賃料を支払つたことについては、なにも主張と立証とをしていない-。第五一八条第二項の他の条件とは、債権者において一般に立証責任を負つている条件の趣旨で、立証の責任を負つていない条件までをも含まない趣旨であると解するを相当とする。そうであるから、本件のように、再抗告人が三ケ月分以上の賃料の支払を怠つて本件賃貸借契約が解除されたということ(解除されたことは、一において判断したような理由で証明を要しない)については、相手方はそれを証明することを要せず、従つて、また、第五二〇条の適用はなく、裁判所書記官は裁判長の命令なくして執行文を付与し得るものといわなければならない。この点に関する再抗告の理由は、独自の立場に立つて、原決定を非難するものであるから、採用できない。

よつて、原決定は相当で、本件再抗告は理由がないから、これを棄却し、再抗告の費用を再抗告人をして負担させ、主文のように決定する。

(裁判長判事 柳川昌勝 判事 村松俊夫 判事 中村匡三)

再抗告の理由

一 原抗告裁判所の決定は横浜西簡易裁判所昭和二六年(ユ)第九号借地権確認並に賃料確定請求調停事件の調停調書中第三項記載の「申立人が前項の賃料の支払を引き続き三ヶ月以上延滞したる時は本件賃貸借契約は何等の催告を要せずして解約せられ申立人は該地上の建物を収去し本件土地を明渡す事」との調停条項をとらえて、再抗告人に於て「調停条項第二項所定の賃料の支払を引続き三ケ月延滞したときは、本件賃貸借契約は当然解除となり……即時土地明渡の義務が生ずることは調停条項の記載から明か」であるとするがそのような判断は右調停条項の文言よりして何等客観的に明白であるとは言い得ないのみならず、前記調停条項を合理的に解釈するときは到底首肯し難い所である。若し原抗告裁判所の決定が言うように停止条件付解除の特約であるとするならば、右調停条項は「何等の催告を要せずして当然解約せられ」とか、或は「何等の催告並に解除の意思表示を要せずして解約せられ」等の文言を以て表示されるべきであり、又「賃料の支払を引き続き三ケ月以上延滞したる時」の文言は「賃料の支払を引き続き三ケ月延滞したる時」と表示されて然るべきであり、それが通常使用せられている表現方法であると思料する。故に右調停条項第三項を合理的に解釈すれば、右調停条項は再抗告人が賃料の支払を二ケ月以内延滞するときは相手方に於て本件賃貸借契約を解除するにつき一般原則に従い賃料支払の催告並に解除の意思表示を必要とするが、再抗告人が賃料の支払を引き続き三ケ月以上延滞したときは相手方に於て賃料支払の催告を要せず本件賃貸借契約は解除の意思表示のみを以て直ちに解除の効果を生ずる趣旨であると解せられるのである。しかして右調停条項が右の趣旨に解せられるべき事は、右調停条項の文言よりして客観的に明白であるが、更に前記調停事件の申立に至つた原因及び調停の経過に照らして判断すれば一層明確となつた筈である。この点に於て原抗告裁判所の決定は、条理に反し理由不備及び審理不尽の違法があると言うべきである。そこで相手方の土地明渡請求権が発生するためには、再抗告人の引き続き三ケ月以上の賃料債務不履行の事実のみを以て足れりとせず、相手方に於て解除の意思表示がなされ再抗告人に到達せられた事を要する。しかして相手方は契約解除を理由として本件土地明渡請求をなすものであるから、再抗告人に対し解除の意思表示をなしその効力が発生した旨の挙証責任を負担すべきである。尚契約解除を理由として明渡請求をなす場合債権者に於て債務者に対し解除の意思表示をなしその効力が発生した旨の挙証責任につき主張者がこれを負担すべき事は判例学説を通じて争がなく自明の理とする所である。然らば前記調停調書の正本に対し執行文が適法に付与せらるためには民事調停法第一六条及び民事訴訟法第五六〇条の規定によつて準用される民事訴訟法第五一八条第二項及び同法第五二〇条に則り、相手方に於て再抗告人に対し解除の意思表示がなされ該意思表示が再抗告人に到達せられた旨の証明書を以てこれを立証し且つ裁判長の命令を必要とするものと言わなければならない。然るに原抗告裁判所は前記違法を侵して判断を誤り、その結果相手方に於て本件土地明渡請求権の発生を立証すべき何等の責任なく従つて前記調停調書の正本に対する執行文付与に当つて民事訴訟法第五一八条第二項及び同法第五二〇条の適用はあり得ないとして相手方の即時抗告を認容し、前掲表示の決定をなしたもので、前記違法は該決定主文に影響を及ぼすこと明らかである。

二 次に原抗告裁判所の決定は、債権者たる相手方に於て「賃料不払により本件土地明渡請求権が発生したことを立証すべきものではなくむしろ債務者たる再抗告人に於て「賃料を遅滞なく支払いその明渡請求権の未だ発生していないことを立証しない限り」「本件土地に対する明渡請求の執行を免れ得ないものといわなければならない」と説示した上、前記調停調書の正本に対し執行文を付与するに当り裁判長の命令を要しないものとする。然しながら前記調停条項が仮に停止条件付解除の特約であると解せられるとしても、割賦金支払に関する所謂懈怠約款とはその性質を異にし賃料の支払を怠るまでは期限が猶予されているのではなく、賃料の支払を延滞することによつて賃貸借契約が解除の効果を生じ、ここに始めて再抗告人に土地明渡義務が発生するのである。さればかかる場合に於ては、民事訴訟法第五一八条第二項に所謂条件に係る場合と称すべく相手方は前記調停調書の正本に対し執行文の付与を受くるに際し土地明渡請求権の発生した事実を証明書を以て立証し且つ裁判長の命令を必要とすると解する。なるほど債務者たる再抗告人に於て賃料を遅滞なく支払つた事は主張立証する責任があるとしても、この一事を以て債権者たる相手方において本件土地明渡請求権の発生につき何等の挙証責任なく、執行文の付与に当り裁判長の命令を要しないとするは早計である。債権者たる相手方は本件土地明渡請求をなすものであるから本件土地明渡請求権の発生事実につき、換言すれば解除の事実につき挙証責任を負担し、これに対し本件土地明渡請求権の不発生を主張する債務者たる再抗告人は不発生の事由たる賃料を遅滞なく支払つた事実を立証しなければならないと解するのが正当であると信ずる。この点に於て原抗告裁判所の決定には、誤つて右挙証責任の分配の法則の適用を逸脱し、民事訴訟法第五一八条第二項及び同法第五二〇条の擬律を欠いた違法が存在する。この違法は原抗告裁判所の決定主文に影響を及ぼすこと明らかなる法令違背であると思料する。

よつて本件再抗告に及んだ次第である。

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